なぜ、浦和はサッカーの街なの? アマチュアサッカー編

2013年3月7日

saitamash

埼玉サッカー発祥の地である、埼玉師範学校でサッカーを学んだ先生が浦和の中学校、高校でサッカーを指導することで、浦和のサッカーは発展していきます。浦和高校、浦和西高校、浦和市立高校(現さいたま市立高校)、浦和南高校の浦和4校が、全国大会21回優勝という燦然たる成績を残しています。

 

■前人未到の69連勝!サッカー王国埼玉の先駆け的存在、「浦和高校」

戦後、サッカー王国埼玉の先駆けとなる存在「浦和高校」が圧倒的な強さを見せ、1949年に国体で初の全国制覇をして以来、全国大会で何度となく優勝を果たしました。ライトブルーのユニフォームは、浦和っ子たちの憧れとなり、前人未到の69連勝は今でも語り継がれる伝説となっています。

なぜ浦和はサッカーの街なの?

 

【おもな記録】

1949年(昭和24年度) 国体で初の全国制覇

1951年(昭和26年度) 国体連覇

全国高校選手権で初優勝(関東大会含めて三冠)

1951年~52年度    前人未到の「69連勝」

1954年~55年度    全国高校選手権2連覇

 

【おもなOB】

浅見俊雄(元国際審判員)

犬飼基昭(元日本サッカー協会会長)

松本暁司(元日本代表GK、浦和南高校監督)

 

■「埼玉を制する者は天下を制す」

高校サッカーの隆盛を示すものとして、埼玉県サッカー協会会長も務められた、福永健司氏の「埼玉を制する者は天下を制す」という言葉がサッカーの街を象徴する言葉として、今でも語り継がれています。浦和高校の後も浦和西高校、浦和市立高校が全国制覇を果たしていきます。

 

(1)浦和西高校

1957年(昭和32年)高校選手権で初の全国制覇(埼玉が全国3連覇達成)

全国制覇2回

 

【おもなOB】

鈴木良三(元日本代表DF、メキシコ五輪銅メダリスト)

川上信夫(元日本代表DF)

西野朗(元日本代表、ガンバ大阪監督)

 

(2)

浦和市立高校(現さいたま市立浦和高校)

1959年(昭和34年)東京国体で初の全国制覇

全国制覇8回

 

【おもなOB】

落合弘(元日本代表DF)

清水秀彦(横浜マリノス監督など)

堀之内聖(元浦和レッズ・現横浜FC所属)

 

■『赤き血のイレブン』浦和南高校

サッカーブームの火付け役となった漫画『赤き血のイレブン』のモデルとなったのが、浦和南高校です。1969年には、史上初の高校三冠を達成するなど、圧倒的な強さで全国にその名を知らしめました。浦和レッズのゴール裏で、今でも『赤き血のイレブン』の名前が叫ばれています。

 

1967年(昭和42年度)埼玉国体で初優勝

全国制覇6回

1969年(昭和44年度)には、史上初の高校三冠を達成。(全国高校総体、長崎国体、全国高校選手権大会)

 

【おもなOB】

永井良和(元日本代表FW)

田嶋幸三(日本サッカー協会専務理事)

水沼貴史(元日本代表FW)

 

■浦和4校のOBがそれぞれ日本サッカー殿堂入り

日本サッカー殿堂入りは、日本サッカー協会が、日本のサッカーに多大な貢献を果たした人物を表彰するものです。その殿堂入りに浦和4校のOBがそれぞれ選ばれており、そこからも当時の浦和サッカーの隆盛を推し量ることができます。

 

2010年第7回掲額

(1)浦和高校OB

浅見俊雄さん

国際審判委員、Jリーグ審判委員長

Jリーグ常勤理事、日本体育大学教授

国立スポーツ科学センター初代センター長

 

(2)浦和西高校OB

鈴木良三さん

日本代表98試合出場

メキシコ五輪銅メダリスト
JSL 通算67試合出場、5得点を記録

 

(3)浦和市立高校OB

落合弘さん

日本代表126(Aマッチ63)試合出場、17(Aマッチ9)得点
JSL267試合出場(歴代2位)56得点(1966〜84年)。

JSL 260試合連続出場

2012年第9回掲額

 

(4)浦和南高校OB

永井良和さん

272試合出場63得点(JSL出場試合数歴代1位)

国際Aマッチ 69試合 9得点

 

■小学校、中学校でも全国で活躍するサッカー王国の子どもたち

全日本少年サッカー大会で埼玉県のチームが全国制覇8回を果たしています。第1回大会では、与野下落合小学校が優勝。その後も、浦和少年団選抜チームのFC浦和が4度の優勝を果たすなど、小学生年代でもサッカーが盛んであることを示す結果を残しています。また中学校も全国制覇7回を果たしています。

なぜ浦和はサッカーの街なの?

1977年度 与野下落合小学校

1985年度 FC浦和

1989年度 FC浦和

1996年度 新座片山少年団

2002年度 FC浦和

2003年度 江南南少年団

2008年度 FC浦和

2012年度 新座片山少年団

 

全国中学校サッカー大会で全国制覇7回

1972年度 大原中学

1975年度 本太中学

1977年度 本太中学

1981年度 常盤中学

1987年度 神根中学

1988年度 大原中学

1999年度 三室中学

 

 

■旧浦和市内の小学校に、浦和36団

旧浦和市内の小学校には、36もの少年団が存在をしています。市内の各小学校にサッカー少年団があるのは、日本でも浦和だけです。この浦和市スポーツ少年団(現・さいたま市浦和スポーツ少年団)は、埼玉県で開催された第22回国民体育大会の年、昭和42年3月4日にそれまで各小学校で活動していた少年サッカーチームを母体に、6団(三室、北浦和、針ヶ谷、本太、大久保、別所)のサッカー少年団によって結成されたのに始まります。その歴史は今でも脈々と受け継がれています。

なぜ、浦和はサッカーの街なの?

【浦和36団】

大久保 栄和 土合 中島 岸町 新開 田島  別所 西浦和  辻 沼影

南浦和 文蔵 大谷場 高砂 浦和南 谷田善前 大谷口 駒場 道祖土

仲本 尾間木 大牧 大門  中尾 野田  北浦和 芝原  大東 三室 本太

上木崎 木崎  常盤  仲町  針ヶ谷

 

 

また、2013年度から浦和レッズジュニア・ユースチーム(小学4年~6年生)が始動をし、小学生年代における新たな活性化材料と期待されています。

City and Town

city-and-town

浦和レッドダイヤモンズ 橋本光夫社長に訊く、浦和のまちと社会活動

浦和レッドダイヤモンズ 橋本光夫代表に訊く、浦和のまちと社会活動

2013年3月15日

浦和レッドダイヤモンズ 橋本光夫代表に、浦和のまちの印象やこれからの浦和とレッズの携わり方についてお話をお伺いしました。
Football

football

なぜ、浦和はサッカーの街なの? 浦和レッズ編

なぜ、浦和はサッカーの街なの? 浦和レッズ編

2013年3月11日

1992年Jリーグ開幕の年に、浦和に”浦和レッズ”が誕生しました。浦和にレッズが来るにあたり、ひとつのエピソードがありました。 歴史がかけ違えられたら、埼玉スタジアムは赤く染まっていなかったのかもしれないのです。
Football

football

なぜ、浦和はサッカーの街なの?

なぜ、浦和はサッカーの街なの? アマチュアサッカー編

2013年3月7日

埼玉サッカー発祥の地である、埼玉師範学校でサッカーを学んだ先生が浦和の中学校、高校でサッカーを指導することで、浦和のサッカーは発展していきました。なんと浦和4高校が、全国大会21回優勝という燦然たる成績を残しているのです。
Football

football

なぜ、浦和はサッカーの街なの? 埼玉サッカー100年編

2013年3月2日

浦和とサッカーでイメージをするのは多くの人が、サッカーJ1リーグに所属する、浦和レッズではないでしょうか? しかし、それ以上にこの街のサッカーの歴史は深いことをご存知でしょうか。