街の3分の2を焼き尽くした浦和大火

2013年4月1日

街を焼き尽くした浦和大火

浦和の古きを尋ねる歴史エピソードをお届けする『浦和ヒストリー』。第2回は明治に起こった大事件、実に街の3分の2を焼き尽くしたとされる浦和の大火事をご紹介します。

 

■全焼366戸! 5時間も街が炎上を続けた大惨事

江戸時代に宿場町として栄えた浦和宿。明治時代には明治9年に県庁が浦和に定まり、その7年後には浦和駅が置かれるなど街は発展の一途を辿っていました。

そんな明治21年3月14日の午前10時前、常盤町にあった青物市場より出火した火の手は、強い西風を受けてたちまち浦和一帯をあっという間に焼きつくし、上野からの消防夫が汽車に乗って鎮火の応援が駆けつけたほど。

そして鎮火したのは午後15時。玉蔵院前にあった河内屋という漢方薬局の土蔵で消し止められました。

全焼したのは366戸という実に街の3分の2を消失する大惨事でした。うなぎの老舗として知られる旧中仙道沿いの山崎屋で創業年が不明になっているのは、この火災で古い書類がすべて燃えてしまったからだといいます。

 

この浦和大火は当時の新聞でも取り上げられ“田舎には珍しい大火なり”と評されました。

 

 

■発揮された互助の精神

この大惨事にあって、鎮火に尽力したのは上野の消防夫だけではありませんでした。

埼玉師範学校の生徒が100人以上駆けつけ、率先して消火活動と救助にあたりました。役所の書類がこの火事でも燃えずに無事だったのは、埼玉師範学校の生徒が運び出した功によるもので、この行動は町民の感謝を受けただけでなく、当時の県知事より感謝状が埼玉師範学校に贈られました。

 

また、今でも浦和の西口駅前にある『ときわだんご』では、この火事で焼け出された人々への救援物資として団子を提供したのだそうです。

 

※埼玉師範学校・・・新制 埼玉大学教育学部の前身のひとつとなった師範学校

 

■大火後にはじめられた新しいまちづくり

この大火を機に、浦和では新しいまちづくりが進められました。それまで茅葺きが多かった建物も、大火後は瓦葺きへと変わっていきました。

今ではすっかり数が激減してしまいましたが、新たに浦和の街で建てられたのは“土蔵造り”“せがい造り”と呼ばれる建築様式の家屋です。

 

街を焼き尽くした浦和大火

 

蔵の街として知られ、人気観光地となった川越も、明治26年に襲った大火を経て現在のような蔵造りの街に変貌しています。

 

次回の『浦和ヒストリー』は、今年で開業170周年を迎える浦和駅の開業エピソードをご紹介します。

 

 

参考:

浦和市史近代資料1

図説 浦和のあゆみ(写真転載)

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