浦和のど真ん中に牧場があった!?

2013年3月21日

浦和のど真ん中に牧場があった!?

3月16日には湘南新宿ラインが停車し、都心へのアクセスがさらに便利になるなど日々発展し続ける浦和。旧中仙道沿いには宿場町だったころの面影を忍ばせる建物があり、駅前や商業施設などの都会の華やかな雰囲気と、旧街道沿いの歴史を感じさせてくれる街並みが共存しているのが浦和の特長ともいえます。

 

うらわマガジンでは、新シリーズ、『浦和ヒストリー』と題し、浦和の古きを尋ねる歴史エピソードをお届けします。第1回は文明開化を匂わせる2つの浦和牧場をご紹介します。

 

■住宅地として人気の岸町に自然の地形を生かした牧場があった

明治9年(1876)、今の県知事にあたる県令から勧められて辻村彦八が牧場を今の岸町6丁目に開きました。

このエリアは現在でもなだらかな坂がある場所で、辻村牧場はこの地形をいかして南北に牛の運動場をもち、中央に2つの牧舎がありました。地元の古老の記憶によれば乳牛はおよそ20頭ほどいたそうです。

 

浦和のど真ん中に牧場があった!?

 

■徳川の元幕臣が開いた牧場も

高砂小学校の南東にあった桃林舎牧場は代々、徳川幕府に使えた元幕臣が大政奉還後の明治になって浦和に移住して開いた牧場です。

旧来、士族は今の給与にあたる家禄を受けていましたが、明治政府はこれを廃止し、明治9年(1876)に代りとなる公債“金禄公債”を交付しました。この公債を元手に牧場を始めたのだそう。

ところが、武士の商法(※)に加えて牛乳を飲むといった習慣がもともとなかった日本では、「牛乳を飲むと牛になる」という考えもまだ根強く、経営はとても苦しかったようです。

 

そこで一計を案じ、今で言う無料サンプリングを近くにあった埼玉師範学校に実施。無料で牛乳を納め、長期間試飲をしてもらい普及させるため努力をしたのだとか。

この桃林舎牧場には3頭の乳牛と、一升瓶で月1,250本程度の生産があったそうです。

 

※武士の商法・・・明治初期、特権を失った士族が慣れない商売に手を出して失敗したこと。(goo 国語辞典より)

 

 

■浦和の“牛食”事始めの公式記録は明治12

牧場が開かれた明治のはじめに、浦和でも牛を食べられ始めました。

いつから食べ始められたのかは記録が乏しく不明なのですが、明治12年(1879)の新聞『埼玉新報』に裏門通りの肉屋が毎朝東京から新鮮な牛肉を仕入れて販売している広告と、浦和宿に牛鍋屋が出来たという記事が確認できます。

 

 

いかがでしたか? 今では高級住宅地として知られる岸町ですが、百数十年前には牛が草をはむ牧歌的な光景が広がっていたなどとは想像がつきませんね。

次回は明治に起こった大事件、実に街の三分の二を焼いたとされる浦和の大火事です。

 

 

参考:

浦和市史近代資料1

図説 浦和のあゆみ(写真転載)

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